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第2回
 
  株式会社 角田商店

 代表取締役社長 角田裕一氏

  Profile
住所/山形県寒河江市大字寒河江字横道57-1
TEL/0237-86-6211
URL/http://www.tsunodacorp.com/

●角田商店の歴史を教えて下さい

大正13年になります。創業88年になりますので意外と古いんですよ。
初代は私の祖父で角田喜一と云います。
 
2代目は私の父で角田祐太郎と云います。
父は非常に才覚のある人で、もともとはリサイクル業として始めたのですが、山形県の特産品である桃やリンゴなど果実加工食品の分野にも進出し、今日の果実加工食品やリサイクル業を核にした専門商社の基礎を創ってくれました。
 
私が3代目で角田裕一と申します。
私が社長になったのは平成元年です。先代社長の死去に伴い36歳で引き継いだものですから本当に大変だったですね。
 
でも、何とかここまで来れたのも皆様のおかげで、社長になって24年になりました。
その間、本社を現在のところに移転し、リサイクルセンターや流通センターを創り、産業廃棄物収集運搬業、一般貨物自動車運送事業の認可も受けて、物流機能も備えた環境に優しい専門商社としてここまで来る事が出来ました。
最近は福祉用具貸与事業所の(有)アシストやコンバート電気自動車の(株)E V ・ Y AMAGATA などを加えて総合企業として頑張っています。

●創業88年ともなればいろんな事があったと思うのですが

もちろん、ずーっと順調だった訳ではありません。山あり谷ありですよ。
 
最初の試練は先代社長の時ですが、当時最大の取引先であった丸菱食品がつぶれて、大きな負債を抱えた時ですね。
しかし先代社長は逆に逆境をばねにして丸菱食品の再建に全力を尽くしました。平成元年に亡くなるまでの数年間は丸菱食品の社長として見事に再建を果たし、その事が角田商店の発展に大きく寄与したのは事実です。
 
また角田商店の業績を一気に伸ばす事が出来た一番大きな要因は、サウジアラビアヘのミックスジュースの輸出という大きなプロジェクトに参画出来た事ですね。
私が入社してすぐに始まった事業です。しかも毎年売上が数億円ずつ伸びていく事業だったので、私としては非常に運が良かったと思っていました。
 
しかし、良い事は長くは続きません。
これが続いたのは10年間だけで、昭和60年、1985年のプラザ合意によって一気に円高になり(何か今の状況と似ている)輸出が完全にストップ、この時も大変でした。実はここから6年間が、会社にとっても、私自身にとっても最悪でしたね。
良くつぶれなかったと不思議でなりません。
輸出から輸入へ、仕入れ先が販売先へと急激な方向転換により次々と商売上のトラブルに巻き込まれて行きました。
 
メインの取引先の工場がつぶれたり、製品クレームが発生し莫大な賠償問題を抱えたり、取引先とのトラブルにより多額の代金回収が困難になったり、そんな事がこれでもかと続いたんですね。さらに追い打ちを掛けるように先代社長が亡くなり、世の中の不幸を一手に引き受けている様な感じでした。
 
しかしその中でも、輸入果汁の販売が大手商社の協力を得て順調に伸びていたのですが、それも平成3年の輸入枠の撤廃により、果汁の輸入完全自由化時代が到来し、大手商社に到底太刀打ちできず、この時も売上が半減して本当に大変だったんです。
今考えるとこの試練は何だったんでしょうね。自分を見つめ直せと云う事だったんでしょうか。
 
でも学んだこともいっぱいあるんですよ。
一番大きな事は絶対に諦めないと云う事かな。またそんな中で、自慢できる事があるとするならば、一回も赤字を出さないで乗り切る事が出来たことでしょうか。

●苦難の時期を乗り切るために、どんな事を考えたのですか

やっぱり、これではだめだと思いましたね。
この時代はちょうどバブルが崩壊して、世の中が一気に冷え込んで行った時代でリストラがおお流行りだったんです。どこの会社もリストラ(解雇)をして会社をスリム化し、この難局を乗り切ろうと必死だったんです。
 
しかし、私は解雇だけは絶対にしたくないと云う思いがあって、それならばどうしたら良いかずいぶん悩みました。そこで得た結論が大きくなくても良いからつぶれない会社を創ろうと云う事だったのです。その為には社員が今よりも誇りの持てる会社にならなければならない。その為にどうするか、それが、本来の意味でのリストラクチャー(再構築)をする事だったのです。世の中の流れとは逆に本社を移転したり、流通センターを作ったりしたのはその為です。
 
結果としてそれが良かったんですね。それから仕事の方もずいぶん安定してきたし、何よりも社員のやる気が出て、どんどん良い方向に向かって行きました。それ以来つぶれない会社創りを目標に経営方針を転換していくようになりました。

●つぶれない会社にするためにはどうしたら良いんですか

方法はいっぱいあると思うんですけど、やはり一番は単純に考えて赤字を出さないと云う事でしょうね。
さらに資金不足にならないように銀行さんと上手にお付き合いをするのも大事です。キャッシュフローなんて言葉がない時代でしたけど、今の言葉で言うとキャッシュフローの充実かな。
 
其の他にも細かい事を云えば一杯あるんですが、要するに基本に忠実にという事だと思います。経営に起死回生なんてありません。
これまでの経験でいやと云う程思い知らされました。だから、数字にも強くならなくてはならないし、数字で自分の会社を客観的に見ることも大事な要素だと思います。売上から予算を立てるのと、最終利益から予算を立てるのでは大違い、それをするだけでも結果的には大きな差となって現れて来ると思います。
 
さらに社員にやる気があって、皆が誇りの持てる会社であって、今やっている仕事が大好きならば、どんな事でも乗り越えていけるのではないかと思っています。売上はその後で着いて来ますよ。


 

●社長はいつも仕事が楽しそうですね

そうですね、仕事は楽しいです。
多分好きな仕事しかしていないからでしょうね。嫌いな仕事はよっぽどの事がない限りしないようにしています。だって好きな仕事だけして一生暮らせたらこれほど幸せな事はないと思っているからです。
 
人生の半分の時間は仕事をしていると云っても過言じやないし、もし、その時間の大半を嫌いな仕事をしているとしたら、それこそ不幸じゃありませんか。
だから社員にも自分にも、今している仕事を大好きになってほしいと口を酸っぱくして言っています。
そう思って仕事をすると本当に楽しいですよ。嫌いな仕事なんて言うのは無くなるのではないかと思います。要するに考え方で大きく変わってくると云う事だと思います。加えてその仕事が人様の為にお役に立てるのなら最高です。これに勝るものは無いかもしれません。
 
しかし、好きな仕事だけしているのですから、もし業績が下がったら、その時は躊躇なく給料を下げると云う合意もしているのですが、未だに実行する機会がない処を見ると、案外これが的を得ているのかとこの頃本気で思っています。


 

●社長の座右の銘を教えて下さい

それは『知考言行』と云う言葉です。
この言葉との出会いは中学時代です。本当に印象的でした。人は皆平等に知る機会がある。しかしそこから自分で考えるとなると半分位になり、考えた事を発言するとなるとまた半分になり、発言したことを行動に移すとなると、また半分になる。最終的には約1割の人しかゴール出来ないんだよ。だから行動する人間になりなさいと。
なぜか凄く納得したので座右の銘にしています。


ありがとうございました
旬味 かくれや 楽  
住所/山形県寒河江市中央2丁目8-16  TEL/0237-85-4701
 
名前の通り隠れ家的な雰囲気で、旬の食材を盛り込んだ料理を楽しむことができます。
 
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